OLDCODEX解散・鈴木達央ドラケン交代
年の瀬
「今年の汚れ、今年のうちに〜」というCMのキャッチコピーが昔あったと思うけど
芸能界ではその年の不祥事はその年のうちに片をつける、と言うのが慣わしのようで
達央の件でも動きがありました。
(これ、書きはじめたの数日前(汗))
声優業では役の降板が相次いで
ただ今回のドラケンに関しては「交代」と報道しているところが多い。
シリーズものであるならば、いずれまた「戻る」ことも視野に入れての今回の交代なのかな?とも思います。
聞くところによると、ドラケンは彼のはまり役で鈴木達央以外は考えられない、という特にファンでなくてもそう思う方々もいるのだとか、、
となればむしろ、本格的な声優復帰の第1段としてもこの役どころは使えそうな気がします。
彼の場合、はまり役がくれば右に出る者はいないというくらいの演技力はあるはずだろう思うので。
とは言え何度も書いていますが、出来るだけ復帰は急がないこと。
ラッキースターと呼ばれている木星が達央の太陽はじめ蠍座のステリウムとトライン(120度)になるので本来であれば、仕事に拡がりが出てくる星回りです。
ただ、それと同時に土星が水瓶座にあって彼の蠍座ステリウムとスクエア。
今回の不祥事はこの土星の影響も大きかったかもなぁと思うんですが、実は土星が蠍座にあったサターンリターンの時に遡って伏線があったからでもあると私は感じています。
それが今回の「OLDCODEX解散」
土星が蠍座にあったサターンリターンの時にギタリストさんが脱退してるんですよね。
で、何回か書いてるようにこの時点でもうOLDCODEXは無くなっているわけで、それから先は無理矢理、意地で続けてきたようなものです。
前にもいったように強い言葉で表現すると「死に体」
本当はもう死んでいた。
なのであの時に一度リセットしてYORKE.さんと二人で続けるならバンドではなくユニットとして再出発したほうがスッキリ出来たのかもしれません。
でも、達央はバンドとしてやりたいという想いが強かったんだろうなぁ、と。
今年の春、リミックスアルバムのインタビューで達央が「とてもきれいな林檎を見せているのに実は中身は傷んでいる状態だった」と表現していて、本人も自覚があった。
OLDCODEXの楽曲から感じるのはいつも彼の「悔しさ」や「切なさ」でYORKE.さんの歌詞もそこをくみ取っての言葉選びだったので、私はあまり聴くことがなかったです。
亡霊と言うか、ゾンビというか
どうも居心地が悪くて。
聴くとしてもまだギタリストさんがいた頃の楽曲を聴いていました。
最近、声にクリアさが戻ってきて
やっと気持ちが精算出来てきたのかも、と思ったらどうやらミキシングで調整した結果だそうで。
それもこのインタビューで言っています。
達央がデスボを多様するようになったのはギタリストさんが脱退してから、らしいのですが
考えてみると当然で、自身の中にある感情が
「コノヤロー!」「今に見てろよ!」だったとしたら、クリアな透明感のある声で表現するにはあまりにも解離し過ぎるわけで、無意識に汚れた声やドスのきいた声になることは極自然なこと。
このアルバムのインタビューの最後の達央の言葉が非常に印象的です。
「今までいてくれたみんながいないのは寂しさもある」が「それを決めたのも俺なので」
「その別れで不義理をしてしまったのであれば」
「彼らに誇らしさを感じてもらえるくらいすごい存在にならなきゃいけない」
「だから、俺は勝手に進む」
抜粋していてつい苦笑してしまった。
達央らしい言葉で、、
う〜〜ん、これっていわゆる
別れた彼氏に対して「綺麗になって見返してやりたい」的な感情?
不義理をしてしまったかも、、
の後に続く彼が彼らに対する、例えば謝罪などはない。
ただ、これ、インタビューなので実際はあったとしても文字数で編集されている可能性もあります。
いやさ、綺麗になることも見返してやりたい!と思うことも問題ないんだけど、自分がどこを向いているのか?目線の先が「彼氏」なら、それはいつまでたっても「過去」に固定されてしまうからね。
言ってみたら、そのままでは「未来」は開けない。
OLDCODEXの作品も、やってることは新しい試みだったろうけど、やってもやっても欠乏感があったんじゃないかと思います。
だから常に「俺ららしさ」を強調していた。
「らしさ」なんてあとからくっついてくるものだってわかっていてもね。
リミックスアルバムで「枝葉を整えて」と言っていたけど結果的にはそれでは終わらなかったことになってしまったのは、どこかに「それでもまだ足りない」という思いが残っていたのかもしれません。
作品のつくり方、特に「作曲」についても私は不自然さを感じてました。
達央が作曲したことになっているけど、実際の曲起こしはメンバーさんがやっていたんだそうで。
これ、ホントね
めっちゃ、どうにかしてあげてよ!
と常々、思っていた部分。
おおよそ「創作」と名のつく行為は
とどのつまりはすべてこの「かたち」のないものを「目に見える」「耳にに聞こえる」ものへと「起こす」作業と言っても過言じゃない。
頭の中では小説1本完結してる、なんてザラにあるからね
(苦笑)
このblogの記事だって何本、下書きでとまっていることか
それと同じで、頭の中で鳴ってるメロディを例え声に出して録音したとしても、「音」なんて「音符」にならないものがいっぱいだから
それを曲にすると
「いや、ここ違う」って何回も何回もやり直ししてるはずです。
それ、作曲家はギターでもキーボードでも音符に出来る「音」を聞きながら五線譜に起こしていく、もしくはデジタル器機に打ち込む。
せめて少なくとも楽器使ってくれよ!と。
で、そこまで詰めてやっと出来上がった楽曲のクレジットが「作曲 Ta_2」
仮に一時金として作曲料を渡していたとしても、個人的には合作として連名にするとかしてあげて〜といつも思っていました。
名前が出たからってなんなんだよ
有名になりたいのかよ
とかじゃなくてね
自分を誇れる1つの糧として、布石として
あとから振り返ることができるんですよ。
こうやって、OLDCODEXがなくなったらなおさら。
今回の解散
事務所からも本気でこの業界に戻って仕事するつもりなら、どちらか1本に絞れと言われたのでは?と思います。
裸一貫でやれるのは考えるまでもなく「声優業」でしょう。
もう1つ
「俺が選んだ」というのも頷けます。
脱退したギタリストさんのホロスコープも公表されてる生年月日で出してみましたが、出生時間で微妙なホロスコープで、当時の脱退のような形にはちょっとならないだろうなぁと、、
つまり、いきなり一切の関わりを断つという方ではなさそうなんですよね(あくまでもホロスコープでは)
バンドは離れるけど、そして今までのようにアルバムの全曲を手掛けることはできないけど、数曲なら制作に携えるから、、と申し出ていたのではないかと思うのです。
バンドメンバー時代と違って契約(金銭)のやり取りは発生してしまうかもしれませんが。
それを絶ったのは達央のほうだと思います。
彼なりのそれが傷付いた自分を守る方法
自分から離れたひとが作った歌をどんな気持ちで歌えばいいんだよ!だったらいっそ、関わらないでくれ!という白黒思考
だからこそ、ナニクソ!とここまでやってこれたのだと思うのです。
今、そのOLDCODEXがなくなって
実は彼の歌い手としての可能性が拡がったことをこの先、感じる場面が必ず出て来ます。
OLDCODEXのヴォーカルでいたら絶対にやってこないチャンスがきます。
脱退したギタリストさんは達央に
「困った時にはいつでも声を掛けてくれ」といって去ったそうですが、
仮にこの先、このギタリストさんの作詞作曲編曲の楽曲がアニメのタイアップとしてオファーがあって、達央が主人公の声を担当し、その楽曲の歌唱を「鈴木達央名」でという組み合わせも達央さえオファーを受ける気があれば、実現はゼロではないです。
それはOLDCODEXが存続していたらかなわない、再びのコラボ。
個人的な私の願望もありますが、わだかまりをどこかで昇華しないと達央は歌い手としての透明感は取り戻せないと思います。
(ミキシングでカバーする以外で)
とは言え、こういう形での「歌」はあくまでも声優業の一環で自己表現の場ではないので、やはりもう1つ自己を解放できるツールが達央には必要だろうと思います。
実はこのあと、YouTubeの動画を貼ろうと思ってたんだけど、、
「Be My Steady」という楽曲
ギタリストさんが脱退後、達央が初めて彼の曲を歌ったそうで。。
アプリからではできないのかも、、(汗)
・・・・
長くなったので
LiSAさんとのことはまた今度。
けっこう突っ込みどころありそうですね
このお二人、共依存関係だとするならば
離れるのは「共通の敵=世間やマスコミ」があるうちは難しいかもしれません。
レコ大も2年連続にはならなかったようで残念です。
スキャンダルはやはり歓迎されないのかな?
安住アナも「今年はどんな年でしたか?」と台本に書いてあっても、聞きにくかったでしょうね。
皆々様
今年も一年、お疲れ様でした。
穏やかで良いお年を〜☆